その嘘に精一杯の愛を込めて
正しさってなんだろう。
看護師の私はいつもそのことについて考える。
あれは私が看護師2年目の頃。
佐々木さんという男性の患者さんがいた。
他の患者さんと明らかに違うことがあった。
それは、家族の希望で癌とは告知せずに治療を継続してきていた。
私はこの時、告知をされない患者さんをはじめて担当することになった。
70代前半の彼は、大した病気でもないのに何故こんなに体調が悪いのか。
何故治らないのか。
ずっとそんな疑問を口にしていた。
ご家族からは、気が強そうに見えてとても繊細であること。
癌と知ってしまったら、その瞬間から笑って暮らせなくなると思うこと。
そういったことが心配で本人には検査をしているけれど詳細なことは分からないと濁しながらの治療を続けていた。
佐々木さんは長年大工の仕事をしていて、今までにどんな家を建ててきたかとか、病院を建てる時は建設会社が大体決まっているとか。
そんなことを私に教えてくれた。
癌の治療だと佐々木さんに知られないように私はいつも嘘をついていた。
薬自体の副作用で吐き気がすることもあるから先に吐き気止めを使いましょうねとか。
今は少し体調が悪いだけですよとか。
少し具合が悪いからという理由で投与されてる薬が抗癌剤だということを彼だけが知らなかった。
家族の同意が得られなければ本当のことを伝えられないこの治療に毎日疑問を感じていた。
医師からは、佐々木さんの余命は長くないこと。
それも含めての病状説明を先に家族にするという話があった。
佐々木さんはいない。
その病状説明に私も同席した。
ご家族はずっと泣いていて、やっぱり本人には本当のことは言わないで欲しいという希望だった。
医師から、佐々木さんには全て告知をせずに治療をしながら病院で最期を迎えるということをカンファレンスでも言われた。
1人でお風呂に入れていたのに、いつのまにか入れなくなって。
1人でトイレに行けていたのに、いつのまにか私たち看護師の手が必要になって。
僕の身体は一体どうしちゃったんだろうねぇ。
そうやって息を切らしながら話す佐々木さんの背中は入院してきた頃より小さくなった。
本当のことを本人だけが知らなくて死を迎える。
それってどうしてなんだろう。それって正しいことなんだろうか。
やっぱりその疑問が拭えなくて、担当医に質問した。
先生、佐々木さんずっと体調が良くないって。
病名も予後もこのまま言わないで、亡くなっていくのって。
それって本当に佐々木さんが望んでいることなのかなって。
医師は私を見ながら
「それはお前が楽になりたいっていう言い訳だろ。本当のことを言って関われば自分は楽だもんな」
なにも言えないまま、心の中でそうかもしれないな。私の正しいと思うことは、他の人からしたら違うかもしれないな。
そうやって思った。
佐々木さんの身体を拭いているときに、やっぱりこのままあっちにいっちゃうのかなぁと弱気なことを言葉にするようになった。
丁度背中を拭いているときで、佐々木さんの顔を見ないでいられたのが救いだったかもしれない。
「もー、そんな弱気なこと言ってどうしたんですか。今日は血圧も落ち着いてますし普段よりお食事も召し上がれてましたよ。顔色もいいですよ」
そうやって私は毎日精一杯の嘘をついた。
佐々木さんはそれから1ヶ月後に亡くなった。
ご家族からは泣きながら、最期まで本当のことを本人に伝えないでいてくれてありがとうございましたと何度もお礼を言われた。
本当にこれで良かったのかな。
そう思って仕事から帰ろうとすると医師に呼び止められた。佐々木さんの担当医だ。
予後の明確な数字は出せないけど、それでも長くないことはずっと分かってた。
あのまま本当のことを伝えたら、佐々木さんの場合は落ち込んで家族と笑って過ごせる時間が無くなるかもしれないって思った。
何年もずっと診てきた患者さんだったんだ。それこそ俺が医者と成長していく姿をずっとみてくれていた大切な患者さんの1人だったんだよ。
ずっと佐々木さんのこと考えてくれて嬉しかったよ。
きついこと言って悪かったな。
そうやってずっと最期まで看護してくれる看護師がいるから俺ら医者は働けてるのにな。
佐々木さんのことがあってから、私はできるだけ患者さんの病状説明に同席するようになった。
いつだって正解は分からなくて。
正しいかどうかも分からない。
自分のやっていることは間違っているんじゃないか。
本当にこれでいいのか。
あの患者さんに最良の看護ができたのか。
そうやって考えて落ち込む日だって毎日のようにある。
その人らしく、最期をどう迎えるか。
そのために看護師は何ができるのか。
そんなことを毎日のように考えながら、私の日々を過ごすのだ。
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告知というのはいつだってデリケートで誰もが慎重になります。
医療従事者もその1人です。
告知をしたからいいとか、告知をしなかったから悪いとか。
そんなことはないということを自分じしんが思えるまでに大分時間がかかりました。
私にとっては良いと思うことでも相手からしたら違う。
そういうことは沢山あります。
自分が持っている正しさを振りかざしてしまうとそれは武器に変わってしまうから。
ただ。
最期をどのようにしていきていきたいか。
どのようにした過ごしていきたいか。
延命治療を希望した場合、その先にある姿は本当に望んでいる姿なのか。
そんなことを少しだけ考えていただけたら嬉しいです。
だからこそ私は看護の臨床に立ち続けるし、その人の幸せって何か
そんなことをずっと考えていきたいと思ってます。
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みていただけたら嬉しいです。