自粛解除後の私の葛藤

婦人科で働いていたとき産科とは真逆のことをしなければいけない自分に結構葛藤した
妊娠して順調にお腹の中で育って出産をする
そんな患者さんはまず婦人科にはほとんどこない
産むといってもお腹の中では亡くなっていてそれでも日数的には言葉的には「産む」という行為のもと出産をする患者さんは想像するより沢山いた
産んでも泣き声はしなくて「出産」というにはかけ離れた感覚がいつもあった
泣き声をあげながら産まれた赤ちゃんたちの両親は家族写真を撮るのは当たり前でSNSに載せる人が多い中
泣き声がしない出産をした方たちが家族だから写真を撮って欲しいということは本当に少なかった

それでも綺麗に身体を整えてお母さん、お父さんに「よく頑張りましたね」と言いながら私の手から赤ちゃんを引き渡すとき本当は温かいはずの赤ちゃんは腐敗を防ぐためにアイスノンで包んでいていつも冷たかった
おめでとうございますというセリフを言ったことは一度もなかった
写真を頼まれて撮ったときその人は、悲しい結果になってしまったけど家族の写真を載せるから嫌な人はフォローを外してね
そうやって先に投稿したけれど
亡くなった写真を載せるなんてとコメントにあったと余計落ち込んでいた

普通に産まれた赤ちゃんの写真はよくてそうではない写真がダメな理由が私には分からなかった
今でもやっぱり分からない
だって
本当に綺麗な姿になって
口にさえしなければ息をしているみたいにみえる
でもきっとそれは私がその患者さんたちと深く関われたからそう思うだけで
一般的には非常識なのかもしれない
ただだったら私は非常識のままでいいや
そうやって思った

最近自粛が解除されて、誰かと会ったとかどこに行ったとか他県に行く予定があるとかそんな投稿を目にすることが増えた
私は羨ましいって思う気持ちが強くなりすぎてそんな投稿をみるのがちょっとしんどくなった
家、職場、スーパー基本的にはそこしか行くことが許可されていない
解除になって多くの人が今までとは違う部分があっても誰かと会えたり遊べたりすることは喜ばしいことなのに「私はまだできないんだよな」

そんな風に思って気持ちが暗くなる
立場的に外食もできないので仕事の帰り道賑やかな声はお店の灯りをみるとああ、私は入れないんだな、入っちゃいけないんだなそう思いながら家に帰る
誰かと住んでいるわけでもなければ自分が築いた家族がいるわけでもない
だから楽しそうな家族団欒の写真とか赤ちゃんの写真とか
投稿を見るたびにやっぱり「羨ましい」の気持ちが強くなるし
強くなりすぎる
誰かのことが強烈に羨ましいここまで思ったことは多分初めてだと思う
今年はこのまま誰にも母にさえ会えないんじゃないのかなってそんな風に思うから
私が懸念していて怖いことのひとつは愚痴のような気持ちを積み重ねて発してしまうことで、読む側の方のエネルギーを無意識に奪ってしまうのではないかということ

それってすごく疲れてしまうから(もうすでに疲れさせていたらすみません)
輪の中に入れないジレンマや羨ましいという気持ちが過剰になって誰かを無意識に攻撃する可能性があってそれがすごく怖いこと
だからちょっとSNSと距離をとることにした(主にFacebook)
今の私はまだ自粛が解除された状況や状態ではないんだなそう思えるまでに結構時間がかかった

「看護師を辞める」その選択肢は私には今のところないから
私が自由に誰かと会えるようになったらそしてこれを読んでくださっている方に会えることがもしあったら
良かったらあなたの写真を撮らせてください
家で折り紙を折って撮る写真も楽しいけれど人の写真が撮りたくなりました
これを読んでくださった方の今日も明日も明後日もその先もあなたの色で世界が彩られますように

写真は大好きなお友達が私をイメージしてくれてつくってくれたルルベちゃんです
折り紙で向日葵をつくって写真を撮ってみました
爽やかなイエローが沢山の人を元気にするイメージだよっていってもらえて
それだけで私は幸せだなと実感する日々です

YouTubeで折り紙の折り方の配信をしています
見ていただけたら嬉しいです

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