看護師は白衣の天使なんかじゃない

ああ、あの人は今どうしてるかな。
そう思っていたら、
その人が目の前に現れた経験を
どのくらいの人がしているんだろうか。

「看護師さんって、優しくて白衣の天使ね」
穏やかな声で、患者さんが話しかけてくれる。

私はいつもこの後、
なんて答えていいのか分からなくなる。

看護師って、本当に白衣の天使なのかな?
だって、
看護師は天使みたいにいっつも優しくないし、
穏やかでもない。

実際長く看護師をやっていてそう思う。
ナースコールが鳴り止まなくて、内心は焦るし。
仕事が忙しいのを患者さんには必死に隠す。

だって忙しいって言ってしまったら、
患者さんは遠慮してナースコールを押せなくなる。

患者さんが亡くなって、
本当はすごく悲しくて落ち込むけれど。
涙は流さないで仕事をする。

時々笑顔をどこかに置き去りにしそうになって、
慌てる。

命に間近に触れる職業だからこそ、
少しのミスでも同僚に対して
強い口調で責めるカタチになってしまうことは
1度や2度じゃない。
こんな姿は天使じゃない。

そんなことを考えていた日、
りいちゃんという女の子が入院してきた。
笑うと八重歯がのぞく。

年齢の割に小さい小さい身体。
痩せていて、アバラの骨が浮いている。
身体中はアザだらけ。
そして何日もお風呂に入っていないような匂い。

「これってもしかして」

私はりいちゃんの身体を観察した。
こういう時の嫌な予感ほど当たってしまうのは、
何故だろうか。

虐待されている。

りいちゃんの隣に引っ越しをしてきた人が、
異変に気がつき通報してくれて分かった。
毎日怒鳴り声が聞こえてきて、
おかしいと思ったらしい。

入院をして
治療をしながら、りいちゃんの身体は
少しずつ回復に向かっていった。

りいちゃんをどうやって看護していくか。
カンファレンスは毎日のように続いた。

寝たきりの状態だったりいちゃんが、
リハビリをしながら起き上がれるようになった。
少しずつ歩けるようにもなった。

そんなある日。
後輩が早足でナースステーションに戻ってきた。
いつも落ち着いている後輩にしては珍しい。

「そんなに慌ててどうしたの?」
そう聞いたら、
一緒にりいちゃんの病室に来て欲しいと言われた。
どうしたんだろう? 
と思いながら、りいちゃんの病室に行く。

あれ? 
そう思ってよく見ると病室のベッドの端に、
排泄物があった。

「りいちゃん、
トイレ分からなくなっちゃったかな? 
こっちだよ」
そう言って一緒にトイレに行った。

お家とは作りが違うから、
トイレ分からなかったかな?
でもなんでベッドの端にしたんだろう。

りいちゃんはトイレを見て私と後輩にこう言った。

「これはパパとママしか使っちゃいけないやつでしょ? 
お家だと段ボールの中にしてたよ。
なんでこのお部屋は段ボールないの?」

りいちゃんは家のトイレさえ、
使うことを許されていなかった。

なんだか私の気持ちはぎゅっとなったけど。

りいちゃんの背の高さまでしゃがんで
今日からはトイレ使おう!
そうやって笑って話しかけた。

それからは
トイレの使い方、食事の前は手を洗うこと、
お箸の持ち方。
食事をするときは肘をつかない。

他にもいろんなことをりいちゃんに教えた。

大抵りいちゃんの年齢の子なら出来ることも、
りいちゃんには難しかった。

夜中にパパ、ママと泣き叫ぶりいちゃんがいた。

「どうしてパパとママに会えないの。会いたいよ」
そう言って毎日のように夜になると泣いていた。

そのたびに、りいちゃんを抱っこして
背中をトントンとしながら、
「そうだね、会いたいね」
そうやって声をかけていた。

絶対に会わせたくないという気持ちを
必死で隠しながら。

入院中に、りいちゃんの下の歯が抜けた。
そういえば私が小さい頃、
下の歯が抜けた時は両親と一緒に、
空に向かって歯を投げたな。
そんなことを思い出した。

「ねえ、りいちゃん。
まっすぐ歯が生えてきますようにって、
お空に向かってこの歯投げようか」

そう言って私を含めた数人の看護師と医師、
薬剤師、リハビリのスタッフが病院の外に出た。

えーい! 

りいちゃんの声が空に響いた。

病室に戻るとき、りいちゃんが私たち看護師を見て
「みーんな白衣の天使なんでしょ」
他の患者さんから聞いたのだろうか。

入院中に
りいちゃんは沢山の言葉を話せるようになった。
他にもいろんなことができるようになっていた。

さっきだってそうだ。
30分以上はかかるけど、
靴紐を蝶々結びにできるようになっていた。

りいちゃんは、
両親のもとではなく施設に行くことが決まった。

それを私と担当医が施設の人が同席するなか
りいちゃんに伝えた。

「なんでパパとママと暮らせないの。
どうして。一緒に暮らせるって思ってたのに。
皆んな大っ嫌い。白衣の天使なんて嘘じゃん」

そうやって涙をボロボロ流しながら
私を睨んだりいちゃん。

今でも忘れられない。

りいちゃんの退院の日がやってきた。
私はパパとママと暮らすことはできない
そう最初に伝えた大人だったこともあってか

ずっと話してもらえなかった。

それでも私は退院の日に、
りいちゃんに伝えた言葉がある。

退院した後、これで良かったのかな。
ずっとそんなことを考えていたら、
師長に今できることを全力でやったこと
それを悔やむなと言われた。

ねえ、りいちゃん。
私も白衣の天使なんて嘘だって。
そう思うよ。

数年後。
「先輩、高校生くらいの女の子。
先輩に会いたいって来てますよ」

高校生くらいの子? 
最近そのくらいの年の子は退院してないな。

誰だろう?
休憩室を出ると、制服姿の女の子が立っていた。
私に気がついて、
笑った口元からは八重歯がのぞいている。

すぐに誰だか分かる。

高校生になったその女の子は、
私に会いにきてくれた。

「退院のときに伝えてくれた言葉がね。
本当はずっと嬉しかった」

話したのは何年ぶりだろう。

ねえ、
今でも退院の時に伝えた気持ちは変わらないよ。

「りいちゃんが私のことを嫌いでも、
私はりいちゃんのことを大好きだよ」

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