欲しいのは称賛の言葉じゃなくて、きっと居場所

確か1ヶ月くらい前
Twitterで漫画家さんが発信した医療従事者を応援しようという名のもと防護服を着た看護師(多分看護師だと思う)のイラストと素晴らしいHEROという意味が英語のスペルで綴られていたハッシュタグ

見かけたときは、そんな風な応援もあるんだなぁと思った
次の日にそのTwitterは荒れていた
Stay homeをしている人たちは素晴らしい、私も僕もとその投稿をリツイートしたりイラストを描いて応援していた

一方で
医療従事者側の反応は真逆(中には嬉しいっていう人も勿論いたけど真逆の反応のが目立った)

一方的にHEROにしないで
あなたたちはどうせ安全なところから見てるだけじゃない
家族を犠牲にしてまで働く意味なんてない
なんで遊び歩いている人が感染して、こっちは看護しなくちゃいけないんだ

そんな声が目立っていたなって思う

それを見たときに
ああ
医療従事者はここまで疲弊しているんだ
これだけ疲れていて、誰にもぶつけられなくて名前も顔も隠せるTwitterで吐き出さないとやっていられないくらいなんだ
そんな風に思った

その時も、そして今も
私はCOVID-19の患者を看護している

医療も看護も平等
区別することはあっても差別することはない

私だって本音を言っていいのなら
自粛を守らず遊び歩いて罹患した患者さんよりも
自粛ができない仕事で、働いて罹患してしまった人を優先したい

イラストを描いたり
歌を届けたり
その人が善意でしてくれていることって
本来相手を思って
そして少しでも応援したいという気持ちからきてるもの

ただ

それを受け取れる、受け入れられる余裕がきっと今の私たちにはない

震災を経験した人で
大事な家族と連絡が取りたいのに
知り合いくらいの関係性の人からどんどん連絡がきて家族と連絡をとるのが大変だった人はいないだろうか
支援物資で
例えば賞味期限が当日中の食べ物や
千羽鶴をみて
心の中でどうしてと思った人はいないだろうか

それと似ている気がする
勘違いしないで欲しいのは
私はそれをした人を嫌いとかそんな風に思ってるわけではない

贈るタイミングと品物がちょっとずれただけ
そう
ずれただけなんだと思う

勿論純粋にHEROと言ってくれている人たちがいることは分かってる
悪気なんてないことも分かってる

でも実際臨床の場で看護師はHEROでもなければ白衣の天使でもない
誰からも憧れられるような格好いい姿からは程遠い
天使という綺麗で優しくて穏やかなイメージだけでくくられてしまうことに大きな抵抗を持っているのは私だけではないはずだ

帽子をかぶり
マスクをつけて
ゴーグルをする
そして手袋に防護服
数分じゃない
何時間も着ている感染予防服

暑いけど脱ぐわけにいかない
お手洗いにもすぐ行けない
水も飲めない
終わった後には頭が痛い
脱水になっているからだ

鏡を見て疲弊して
気持ちを緩めたら涙が出そうだから歯を食いしばって
時々強くStay homeしている人を羨ましく思う

そんな毎日にHEROや白衣の天使と当事者は思えない
少なくとも私はだ

自粛が少しずつ少しずつ解除になってきて
今度は他の人が羨ましくなる

家族に会えて羨ましい
外食ができて羨ましい
行動記録も何もつけずに、スーパー以外の場所に行けて羨ましい

そんな羨ましいが風船のようにたくさん膨らんで集まって
あるとき簡単に嫉妬に変わってしまう
それに気がついたとき
自分の心の狭さに落胆する

周りから取り残された気持ちになって
居場所がないような錯覚に陥る

いまだに医療従事者な対しての差別はあるし
心ない言葉がダイレクトに吹き矢のように突き刺さる時もある

電車にもバスにもタクシーにも乗るなって言われたら
私はどうやって職場に行けばいいんだろう

HEROっていう言葉より
称賛の言葉より

「いつでも待ってるから帰っておいで」

そんな言葉に
そんな場所に私は安心する

自分が卑屈になる前に
自分のご機嫌は自分でとる

最近見かけるチューリップサンドをつくってみたら
葉っぱは失敗
イチゴのチューリップも練習したらもっと綺麗にできそう

私にとってはチャレンジで
失敗してもがっかりするのは私だけ
失敗しても
大丈夫
またやればいいよ
そんな環境をつくりたくてやっている
そして弱くてどうしようもない自分を認めてる

いつになるかはまだ分からないけれど
おかえりと言ってくれる人たちのとこに
ただいまー!
って言いたいのが今の私の小さいけれど大きな願い
だってそこは
私が笑っていられる居場所だから

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