10年後の答え合わせ

「そんなに患者さんのことを観ることができないなら、その使えない目を目が見えない人に移植してあげれば良いいじゃない」
看護師1年目の時に先輩から言われた言葉は、いまだにかすかに頭の中に残ってる。

仕事が人一倍遅くて、要領が悪くて。
すぐに言い訳をする私は、看護師に向いていないんじゃないか。
そんなことを思いながら働く日々だった。

忙しいという言葉を言い訳に、多くのことを中途半端にして。
患者さんに対してのケアはいつも行き届いていなかった。

そんな日にとある女性患者さんが入院してきた。
そうだな。仮に名前は星さんにしよう。
星さんは、乳がんで手術が必要だった。そして、同時に赤ちゃんも産むことが決定していた。

大学病院だからこその症例だということを私が知るのは何年も後だ。

まず帝王切開で赤ちゃんを産む。その後すぐに乳がんの手術。
手術すぐに赤ちゃんに会うのは体力のことを考慮して禁止。母乳もあげることはできない。

当時21歳の私には、情報量が多すぎて理解するのに時間を要した。
星さんはどこまで理解ができて、感情が追いついているんだろう。
その疑問はずっと消えなかった。

夜勤の日。
私の教育担当の先輩、移植したらと言った先輩。
その2人と一緒だった日。
外の天気は大雨で風が強く吹いていた。
夜中の1時。星さんがいる大部屋を巡回していたら星さんがいなかった。

ステーションの近くにあるソファに座っていた彼女に

「眠れないですか?」
そう声をかけた。
声をかけながら、私が星さんだったら眠れない気がするし、違う言葉のが良かったかなと思いながら星さんの顔を見た。

いつもより落ち込んでいるような。
元気がないような。
でも。元気があるというのも変な表現になるけれど。

星さんがいる隣に座ったら、すごく不安で仕方ないと泣き出した。
赤ちゃんを産んでもすぐに会えないこと。
他の人は自然分娩で産んでいるのに帝王切開で産むこと。
母乳をあげることができないこと。

手術をして、その後子どもとどれくらい一緒に過ごせるのかということ。

ああ。そうだ。
患者さんはいっつも平気なふりをする。
他の人と比べても仕方ないと言い聞かせて。納得させて。
行ってくるねと手術室に向かう。

でも今私の持っている言葉は何の役に立つんだろうか。
星さんに大丈夫ですよと言えるほどの経験値も知識もない私が。
なんて声をかければ良いのだろうか。

結局分からなくて隣に座ってずっと話しを聞いていた。
ただただ時間だけが過ぎていった。

2時間後。
もう寝るね。ありがとう。
そう言って星さんは病室に戻った。

移植をしたらと言ってきた先輩には
「こんなに忙しいのに何を考えているの」
そうやって怒鳴られた。

怒鳴られているとき、教育担当の先輩から
「今日はそこまで忙しくないし、あんなに素敵な看護を否定しないでください」
そうやって言って、お疲れ様と肩にぽんぽんと手を当ててくれた。

結局なにもできなくて。
何が星さんにとって良かったのか分からずに10年がたった。

私はその時、婦人科の病棟で働いて、日勤のリーダーから夜勤の引き継ぎを受けていた。

1人の患者さんの名前に見覚えがあった。


担当患者さんたちに挨拶をしに行く。
カーテン越しに名前を呼んで、今日担当ですとカーテンを開ける。
その時にもしかして?でもあっちは覚えていないよな。
そう思ったら

「あー!!やっぱり望月さん」
懐かしい声と顔があった。

星さんだ。
あの時に産んだ子は10歳になったんだよ。

そう言って携帯の待受画面を見せてくれた。
よく私のこと覚えてましたね
と言ったら、忘れるわけないじゃん。そのあとに私との10年前のことを話してくれた。

ずっと話しを聞いてくれたこと。
赤ちゃんと少しでも会えるように先生たちに掛け合ってくれたこと。
母乳でもミルクでもそれだけ赤ちゃんのこと愛してたら何の関係もないこと。
赤ちゃんが産まれたことに対して真っ先におめでとうって言ってくれたこと。

「夜中にずっと話しを聞いてくれて嬉しくて、赤ちゃん育てていけるって。そうやって思った。あれがなかったら、心がダメになってた。本当にありがとう」

寄り添うことも、向き合うことも。いつも私には出来ないんじゃないか。そんな不安に押しつぶされそうになる。
でもそんな時。いつも、私に自信をくれるのは患者さん達の笑った顔とありがとうという言葉だ。
治る気がするから。頑張りたいから。パワーをちょうだい!そう言って私の手を握ってくれた患者さん達。
私の看護師の仕事は、そんなあったかい人たちに支えられている。





Follow me!

次の記事

その偏見に愛を込めて