私のお城をつくりあげる

 

周りが息をのむほどの美男美女とか
100メートルを9秒で走れちゃうとか
誰もが目を止める圧倒的なパフォーマンスができる人とか
そんな人を見ると

憧れが嫉妬に変わるくらい羨ましい気持ちになることないですか?

あの人みたいになりたいという気持ちが
どうせ私にはできないって卑屈になったり

あの人と同じ場所に立ちたいという気持ちが
あの人ばっかりずるいに変わったり

それってやっぱり今の自分がこのままでいいのか不安になって
悔しいからなのかなって思うんです

私、一時期周りが結婚したり子どもを産んだりしていく同級生や友人を見て
素直におめでとうが言えなかった時期があったんです
すごく喜ばしいことなのに
私はどうせ結婚してないしとか
子どもいなしとか

どうせどうせ教があったらトップの位置につけるのではないか
というくらい思っていた時期がありました

よく人生を成功させるにはとか
勝ち組みたいな言葉が使われたりもするけれど
人生って勝敗じゃないですよね

私が私らしく
あなたがあなたらしく
自分の人生を生きる

ただそんなざっくり言われたとことで
「らしく」ってなんだろうってなったんです

だからやってみたことがあるんです
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
自分の中で分別してみる
苦手だけどチャレンジしたいものは自分が体も心も元気な時にする

だから私の洋服のクローゼットは好きなものしかありません
パジャマも含めてです

本棚の中も好きな本、漫画、参考書しかありません
読みたくないものは本棚の中にはないのです

私が私だけの
いわば「お城」をつくりあげることで
自分からみた私らしさが分かるようになりました

そして誰かを羨ましいと思ったら
私あの人が結婚して羨ましいんだな
と口にだして認めるようになりました

だって羨ましいものは羨ましいもの

私が今苦手だけどチャレンジしているのは植物の写真を撮ることです
明るさの調整も
シャッタースピードも
ISOも
どの設定も撮り続けていくうちに変えていくけれど

いつも
「あー、これじゃない」
感が満載になります

どうせ私なんて初心者だし
どうせ私なんてうまく撮れないし
どうせカメラの知識ないし
たまにどうせどうせ教が出現しそうになるんですけど

そういう時1年前に撮ったお気に入りの写真見るんです
本当に笑えるくらい下手なんですよ

それでね
笑えるくらい下手って思えるってことは
それだけ成長したし上手になったんだなって思ったんです

結局自分の可能性を自分で狭めているのは自分自身で
自分の限界を決めてるいのも自分なんだなって

今まで植物撮るの避けてきたんです
お花は好きなんですけど、カメラをはじめた時全然上手に撮れなくて
これ撮れるのってその人にすごい技術があってその人だから撮れるんじゃないのって
そんなひねくれた考えでした

でも
自分の好きで周りをかためたら
あ、お花の写真撮りたいなってなったんです

もし実家暮らしとかで部屋全部は好きにできないって思ったら
カバンの中だけでも
お化粧ポーチの中だけでもいいんです

ま、これでいっか
ではなく
うん、これがいい

そうやってしていくと
自分だけのお城ができますよ

どんなお城ができたか、よかったら教えてください

折り紙の折り方をYouTubeで配信しています
みていただけたら嬉しいです

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